こんにちは。
今回は現地での日程について、大まかな流れをお伝えしようと思います。
我々日本人オステオパスチームは、9月3日に日本を発って9月4日にリオに到着し、職場となる選手村のすぐ近くのコンドミニアムへタクシーにて移動しました。ポルトガル語が分からないのと、流しのタクシーは危険と聞いていたので、タクシーを見つけて宿泊場所まで移動するのも一苦労です。
翌日5日は午前中にユニフォームの受け取りのため、旧市街にある施設まで1時間半かけて移動。平日のラッシュアワーは交通渋滞で大変です。
ユニフォームはシャツが3着、パンツ2着、ベルト1本、ソックス3足、靴1足、帽子1着、ジャケット1着、レインコート1着。他にかばんとドリンクのボトル、ポケットガイドと結構な量の支給品を受け取りました。
午後は職場の下見のため、早速ユニフォームに着替えて選手村のクリニックへ。オステオパシーチームのリーダーであるブラジル人のジャクソン先生と会いクリニックを案内してもらい、業務の流れについても教えていただきました。
6日から18日までがクリニックでの勤務でした。基本的には、6:30?15:00の午前中シフトが平塚先生、14:30?23:00の午後シフトが私となりました。
シフトの始めと終わりにチーム全体でのブリーフィングがあり、新メンバーの紹介やその日の注意事項の共有が行われます。午前中の始めはその日の準備、午後の終わりは片付けなども当然あります。
11日(日)は休みを取れたので、夜はジャクソン先生と共に3名で食事をしました。定番のブラジル料理をいただきましたが、選手村のものよりも遥かに美味しかったです。食事の席ではブラジルでのオステオパシーの状況、この大会でのオステオパスの導入までの道のりがいかに難しいものだったかなど、4年後の東京大会を目指す上で貴重な体験談を聞くことができました。
最終日の18日は閉会式があるため午前中のみでクリニックは営業を終了し、メディカルチームでの簡単な打ち上げの後は早速機材の片付けを行い、午後2時頃には業務完了となりました。
その後は勤務開始後初めて二人揃っての空き時間ができたので、選手村のチケットショップでチケットを入手し、マラカナン・スタジアムで行われる閉会式に行きました。選手村からだとバス、タクシーを乗り継いで1時間以上かかります。途中少し雨に降られましたが、閉会式は良かったです。日本のプレゼンテーションも会場の雰囲気ががらりと変わり、日本の特徴づけたいイメージがよく出ていました。
実は最初の予定では20日までの勤務だったのですが、クリニックの営業期間が短くなってしまい、19日、20日は休みとなりました。お土産を買ったり、街中に出てみたりもしましたが、主には帰国後に向け仕事をして過ごしました。
移動も含めると約3週間の長いボランティア活動でしたが、終わってみるとあっという間に感じます。
次回以降は肝心の職場での詳しい内容をお話ししていきますので、お楽しみに。
(文:佐藤 鉄也)
「オステオパシー」カテゴリーアーカイブ
グローインペイン
昨日は日本に旅行に来ていたリントンボン先生にJCO学生に特別講義をしてもらいました。
マンチェスター・シティのケアをしていた実績もあるのでテーマはグローインペイン!
2020東京に向けてOSCAJを設立前から応援してくれていて、SPORTS INJURIESの書籍も寄贈していただき、OSCAJから2名パラリンピックのメディカルサービスに参加することをとても喜んで頂きました。
2年前の来日時に話した、2020東京向けた活動やリオも狙っていくことが実現している事も報告できました。
レアケースなギルモアグレインのチェック方法や股関節インピンジに対するHVTなども指導頂きあらたな知識を得ることができました。
リオパラのメディカルサービスに参加します
リオパラリンピックのメディカルサービスにオステオパスとしてOSCA JAPANの平塚佳輝先生が参加することになりました。
日本人でオステオパスとして公的なパラリンピックに参加することは初めての事で、歴史的な1ペ―ジになることでしょう。
また現在もう一名OSCA JAPANのメンバーにオファーが来ており、
ひょっとしたら2名でパラリンピックに参加出来るかも知れません。
今頃になってオファーが来るのは現地の治安や待遇の悪さなどもあり、メディカルサービスのボランティアの辞退も多いのかもしれません。
メディカルサービスのオステオパスとしての選考は
種類選考・スカイプでの面接・英文での作文提出→採用
採用されると
ネイティブではない場合3週間ぐらいかかりそうな英語のユニット学習/英文提出などがあります。
6:00ー23:30までの3交代制で、大会終了後も2日間ぐらい後まで勤務があります。
この治安の悪い中、宿泊場所ははすべて自分で探して手配しなくてはならなかったり、宿泊場所までの移動はどうする?など多くの問題も残っているようです。
リオオリンピックへはOSCA UKから1名ロンドンオリンピック・パラリンピックのオステオパシー部門チーフのシメオンミルトン先生が参加します。
リオオリンピック・パラリンピックの選手をメディカルサービスのオステオパシー部門として活躍することでしょう!
リオへの参加実績は東京へも大きな一歩です。
ロンドンから始まったCOPS(カイロプラクティク・オステオパシー・理学療法士・スポーツマッサージ)の複合メディカルサービスを東京でも実現できるよう活動を続けています。
脳振盪とオステオパシー手技療法
脳振盪とオステオパシー手技療法
アメリカンオステオパシー協会 2016年3月号より
脳振盪は、一般的に思春期に起こることが多いです。その大半は自然に解決しますが、約11%は3か月症状が続きます。このように長引くものに対して、医療機関の治療の基準はなく、オステオパシー療法の役割も明らかではありません。ここでは、6週間のオステオパシーの治療後、通常の生活に復帰できた少女の症例を取り上げます。
頭部に3回外傷の既往がある16歳の少女で小児スポーツメディカルクリニックからの紹介でオステオパシーメディカルクリニックに来たケースです。
主訴は頭痛でした。一番最近の外傷は、5週間前にバスの中で右のこめかみに衝撃が加わったものです。彼女は否定したが外傷後健忘症が認められました。患者がさらに、吐き気、めまい、眠気、羞明、音過敏、情緒不安定、記憶と集中力、頸部の痛み、めまい、不眠症、過敏性、気分の鈍化などの症状が出ていました。
神経学的検査で局所(神経)障害、眼振、また歩行障害はありませんでした。また、クラニアル検査でCRIが少なくなっていました。蝶形後頭底軟骨結合は圧縮され、すべての滑走する動きが制限されていました。右側頭骨は内旋し、右側頭頭頂、側頭頬骨、側頭後頭の各縫合は圧縮され、受動運動がなくなっています。側頭骨の機能不全は、前庭器官や錐体部に影響し、おそらく彼女のめまいの症状、外傷からの2次性めまいの一因となっていると思われます。更に彼女の頸部傍脊椎筋の緊張を異常に高め、右側を悪化していたと思われます。後頭環椎(OA)関節は屈曲、左側屈、右回旋(FSRr)で右側に圧痛があります。局所の頸部機能不全は屈曲、右側屈、右回旋(FRSr)が見つかりました。キーリージョンは頚椎3番(C3)でした。両側の僧帽筋で緊張が高く、右側より硬くなっていました。胸郭入り口の制限は著明で、すべての滑走運動が制限されています。この体性機能障害(SD)は、おそらく患者の頭痛と慢性的な首、背中の痛みの一因となっているようでした。
検査所見に基づいて、オステオパシー手技(OMT)は始めに頸椎と頭蓋の機能不全に向けました。蝶形後頭底結合に減圧および第4脳室圧縮(CV-4)を行いました。制限された縫合の減圧には直接法を施しました。筋エネルギーテクニック(MET)、軟部組織、バランスドリガメンタステンション(BLT)、アーティキュレーションと筋膜リリースを頸部の病変に行いました。僧帽筋の抑制は両側に行われ、胸郭入口筋膜に沿ってリリースしました。すべてのメソッドは、最も制限された領域を触診し、その組織の変化についていく優しいテクニックです。
これらのテクニックは、自然治癒力を促進し、痛みを軽減し、動きが制限された部位を改善させるために患者のSDから選び実施されました。蝶形後頭底結合はなんとか賦活しCRIは改善して、すべての頭蓋骨の制限を減少できました。個々の縫合不全は同じ理由で対処されました。CV-4は、このように頭蓋および体全体の流体の交換を促進し、脳脊髄液の固有の変動性を高めるために施されました。液の流動性を促進させることは浮腫を減少させ、毒性のある副産物をきれいにし、固有免疫反応を高めることが期待できます。頸部のSDの改善は首の過緊張を軽減させ、緊張型、頚性頭痛を改善させました。最後に、胸郭入口の筋膜リリースは、流体力学(リンパ循環)を改善されるため施されました。
初診から翌日の診察には頭痛が改善し、めまい、記憶や集中力の問題及び羞明や音に対する恐怖症状も改善された。
特に1 ヶ月以上の症状を持っている脳振盪患者のメカニズムは十分に理解されていません。しかしながら、生理学的な変化、外傷性誘発による新陳代謝の変化、血流の障害、ニューロン内の代謝が阻害されるなどの問題と仮定されます。
このケースで示すように、脳振盪への他職種とのチームアプローチの一部として OMT は回復を早め、生活の質を向上させるために役立ちます。さらなる研究が必要であり、我々は、長期脳振盪症状と思春期の患者ではOMTの役割を評価するための大規模なランダム化対照試験を実施したいと考えています。
http://jaoa.org/article.aspx?articleid=2498827#.V4dno2a43xY.facebook
腰筋症候群
アメリカオステオパシー協会ジャーナル 8月号
腰筋症候群より
今回は、初診時に腰筋症候群であることを見逃され、オステオパシークリニックに来院した症例です。患者は48歳白人男性で6か月間腰痛に苦しんでいました。臀部や下肢には放散痛がありました。寝起きや長時間座位姿勢が続いた後は、痛く身体を真っ直ぐ伸ばすのに時間がかかります。彼は、床に寝て股関節を曲げ、膝を伸ばし下肢を壁にもたれている姿勢が最も楽でした。そして、彼はこの姿勢が、問題の個所をストレッチできていると思い込んでいました。咳やくしゃみでの疼痛の増悪は、診られません。内臓の疾患は除外されました。
両側の股関節屈曲は40%減少、
左股関節:内転75%減少・外転60%減少・伸展60%減少
右股関節:伸展35%減少
オステオパシー検査:右腸骨前方回転、仙骨LonR、L1.L2FRSl. L3-L5NSRr.
患者は腰椎の機能不全、寛骨の回旋と仙骨のトーションに対してOMTの筋肉エネルギー(MET)を使いオステオパシー医師により治療されました。また、METは患者の制限された股関節の拡張(hip extension),内旋、外旋の関節可動域(ROM)を処理するために使われました。アーティキュレートリーテクニックは、仙腸関節の制限により冒された仙骨と寛骨の病変をリリースするために使われた。統合神経筋(Integrated neuromuscular)リリースと筋膜リリースは、患者の腰椎付近の過緊張した筋(に用いた)を管理しました。最後に、HVLAは彼の腰椎の体性機能不全(SD)の修正に使いました。患者は、4週間にわたりこれらの治療を3回施しました。患者には、OMTセッションを受ける間に家で腰筋(大腰筋)のストレッチ(写真1)と股関節外旋の梨状筋のストレッチ(写真2)を行うよう指導しました。上記のストレッチを30秒、左右10回、1日2回繰り返すよう言いました。また彼は、胴体を真っ直ぐ保ち、足を組まないよう指導しました。その他、体幹トレーニングも重要です。
腰筋症候群は、見逃されやすい筋骨格系の疾患です。しかしながら、オステオパシー医は注意深く診断をすることにより、適切な診断が可能で比較的短時間で急速な改善ができます。
OMT、ホームストレッチの組み合わせは腰筋症候群に対し効果的なアプローチを構成しています。
著者は下記の所見があると腰筋症候群の可能性があるとリサーチしています。
・L1またはL2左回旋、右側屈(鍵となる機能障害)
・L3-L5右回旋、左側屈
・身体がウエストで屈曲し左側屈?
・左足外反?(everted)
・左腰筋のスパズム(股関節伸展制限)
・仙骨左回旋斜軸
・右梨状筋スパズムまたはテンダーポイント(圧痛点)
・右下肢への放散痛
・トーマステスト左陽性
http://jaoa.org/article.aspx?articleid=2094465#.V4Q93qD-axg.facebook
2018平昌冬季オリンピック・パラリンピック
2018平昌冬季オリンピック・パラリンピックへもオステオパシーのメディカルサービス参加を目指してOSCAJは活動を始めてています。
既にRioよりしっかり準備が進められています。
BMC Racing Team’s
BMC Racing Team’sにもオステオパスがいます
ジロ・デ・イタリア
ジロ・デ・イタリア Day7
Team Dimension DataのMerhawi Kudus選手へのAlice Monger Godfrey(オステオパス)による オステオパシーアプローチ(早送り)
ASTANA
ASTANAの医療スタッフとして働くオステオパス
ジロ・デ・イタリアでも活躍しています。
2:50ぐらいからオステオパシーケアが行われています。
TEAM SKYのチーム構成
2015ツールドフランス
マイヨジョーヌのクリストファー・フルームはTEAM SKYのエースです。
チーム構成は
・Each team consist of 9 riders
・4 Coaches per team
・4 Mechanics
・1 Doctor
・5 Carers
・1 Chef
・2 Hospitality Staff members
・1 Director of Cycling
・1 transport and hospitality bookings manager
・1 Osteopath
・1 communications manager
やはりチームにオステオパスが1名いるんです
2015のツードフランスの統計がわかりやすく紹介されています